郷土の新聞 | ミライon図書館

長崎県の郷土資料

郷土の新聞

県立長崎図書館郷土課では、明治35(1902)年以降の郷土の新聞を、原物か原寸大の複写の形で閲覧できます。

郷土課で閲覧できる主な郷土の新聞を紹介します。

なお、明治時代の長崎で発行された英字新聞については長崎歴史文化博物館で閲覧可能です。

 

〇東洋日の出新聞(創刊者:鈴木天眼)

〇郷土の新聞一覧

〇主な所蔵新聞の題字と記事

〇その他の新聞

 

 ※郷土課は現在、なるたき図書館のカウンターの一部を借りて、サービスしており、スペースの都合上、閲覧が可能な新聞は以下の通りです。

・明治35年3月~大正13年12月 (東洋日の出新聞)

・昭和20年3月~昭和37年12月 (長崎新聞、長崎日日新聞、長崎民友新聞、長崎日報新聞)

東洋日の出新聞(創刊者:鈴木天眼)

郷土課で閲覧できる郷土の新聞として代表的なものに、「東洋日の出新聞」があります。同紙は、明治35(1902)年、福島県出身の鈴木天眼(本名;力)により創刊されました。

天眼は「二六新報」の主筆でしたが、朝鮮半島の支配権を巡り日清間の関係が悪化すると、民間の軍事組織「天佑侠」を組織し、日本が朝鮮に軍事介入できる混乱状況を醸成しようと、現地で画策しました。この後、過激な行動はなくなりますが、積極的な大陸経営・大陸進出の考え方は一環していました。明治31(1898)年、長崎で「九州日之出新聞」の創刊に参画、内部対立で退社後、「東洋日の出新聞」を発刊します。
日清戦争・義和団の乱以後の日本の大陸進出が不十分であるという考え方を持っていた天眼は、対露強硬の論陣を張り、日露戦争勃発後は、地方新聞ながら西郷四郎らを特派員として派遣します。しかし、戦争が長期化すると、休戦に向けての外交交渉・講和を主張、ポーツマス条約締結を明確に支持します。当時、長崎市内には、他に「長崎新報」・「九州日之出新聞」・「長崎新聞」(以上3紙、この時期のものは残っていない)・「鎮西日報」(この時期のものは「長崎歴史文化博物館」に所蔵)の4紙が発刊されていましたが、全て講和反対でした。全国の多くの新聞が講和反対を唱える中、新聞史上に異彩を放っていると言えます。天眼は辛亥革命も支援しており、孫文は、大正2(1913)年、天眼宅を訪問しています。

 

参考文献『長崎が出会った近代中国』横山宏章 著/海鳥社/2006年

郷土の新聞一覧

新聞名・主な記事 所蔵の時期 備考 発行地
東洋日の出新聞 1902(明治35)年3月~1924(大正13)年12月 1902(明治35)年1月創刊
1903(明治36)年5月~10月は所蔵なし
長崎市
長崎新聞
(現在の長崎新聞とは直接の関係なし)
1906(明治39)年7月~1918(大正7)年5月
1922(大正11)年10月~1935(昭和10)年8月
1905(明治38)年1月18日創刊
九州日之出新聞 1908(明治41)年1月~9月
1912(大正元)年8月~1918(大正7)年2月
1898(明治31)年12月創刊
1908(明治41)年4月、1912(大正元)年9,12月、1913(大正2)年8月、1915(大正4)年1~3月、1916(大正5)年12月、は所蔵なし
長崎日日新聞
(現在の長崎新聞の前身)
1912(大正元)年8月~1915(大正4)年7月
1923(大正12)年9月
1927(昭和2)年~1942(昭和17)年3月
1946(昭和21)年12月~1959(昭和34)年1月
1911(明治44)年「長崎新報」から名称変更
1913(大正2)年4月、1915(大正4)年5月、1931(昭和6)年9,10月は所蔵なし
*1942(昭和17)年4月1日~1945(昭和20)年7月「長崎日報」に名称変更
1945(昭和20)年7月~1946(昭和21)年12月「長崎新聞」に名称変更
長崎新聞 1959(昭和34)年~現在 「長崎日日新聞」と「長崎民友新聞」の合併
長崎民友新聞 1940(昭和15)年12月~1942(昭和17)年3月
1946(昭和21)年12月~1959(昭和34)年1月
1924(大正13)年11月創刊
1941(昭和16)年5月は所蔵なし
*1942(昭和17)年4月1日~1945(昭和20)年7月「長崎日報」に名称変更
1945(昭和20)年7月~1946(昭和21)年12月「長崎新聞」に名称変更
☆長崎日報(地方紙合同) 1942(昭和17)年4月~1945(昭和20)年7月 「長崎日日新聞」「長崎民友新聞」「佐世保軍港新聞」「島原新聞」の合併1944(昭和19)年9月~1945(昭和20)2月は所蔵なし
★長崎新聞(中央紙と合同) 1945(昭和20)年7月~1946(昭和21)年12月 「長崎日報」「読売報知新聞」「朝日新聞」「毎日新聞」の合併
夕刊 長崎タイムズ 1949(昭和24)年11月~1951(昭和26)年5月12日 1949(昭和24)年10月創刊
夕刊 長崎日日 1951(昭和26)年5月~1954(昭和29)5月 「夕刊長崎タイムズ」から名称変更
長崎ジャーナル 1997(平成9)年11月~2004(平成16)年11月  

☆長崎日報は、東条内閣の一県一紙政策に則り、「長崎日日新聞・長崎民友新聞・佐世保軍港新聞・島原新聞」が合同して発刊した。
★新聞非常措置に基づき、長崎県内では「長崎日報・朝日・毎日・読売」が合同して「長崎新聞」として発刊された。

新聞名・主な記事 所蔵の時期 備考 発行地
長崎時事新聞 1965(昭和40)年7月~1968(昭和43)年7月   佐世保市
サセボ商工新聞 1968(昭和43)年11月~1985(昭和60)年8月 欠号あり
佐世保新報 1970(昭和45)年9月~1971(昭和46)年2月 欠号あり
西海タイムズ 1971(昭和46)年1月~1992(平成4)年10月 終刊
県北タイムズ 1982(昭和57)年6月~1991(平成3)年5月 終刊
政経新聞 2007(平成19)年8月~現在  
島原新聞 1971(昭和46)年8月~現在 1977(昭和52)年8月~1982(昭和57)年7月は、所蔵なし 島原市
壱岐新聞(発行:(株)アットマーク) 2012(平成24)年4月~現在   壱岐市
壱岐新報 2012(平成24)年4月~現在  
壱岐日々新聞 2008(平成20)年1月~2016(平成28)年5月 廃刊
新壱岐 1982(昭和57)年8月~2012(平成24)年5月 廃刊
壱岐日報 1970(昭和45)年6月~2012(平成24)年3月 第1811号は、所蔵なし  廃刊
壱岐新聞(発行:壱岐新聞社) 1982(昭和57)年7月~1997(平成9)年5月  
ふれ太鼓壱岐 1987(昭和62)年11月~2001(平成13)年3月 終刊
壱岐正論 1982(昭和57)年8月~2007(平成19)年3月  
対馬新聞 1982(昭和57)年8月~現在   対馬市
対馬評論 1982(昭和57)年8月~2007(平成19)年5月 終刊
五島新聞 1977(昭和52)年4月~1999(平成11)年12月 1978(昭和53)年6月~1984(昭和59)年5月は、所蔵なし 五島市
五島新報 2008(平成20)年3月~2014(平成26)年1月 終刊

主な所蔵新聞の題字と記事

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「発行人兼印刷人 西郷四郎」とあります。西郷は『姿三四郎』のモデルでした。

明治38年5月24日~30日 「日本海海戦」前後の記事
大正7年7月25日~同8月17日 長崎市の米騒動

昭和2年4月23日 金融恐慌でモラトリアム発令
昭和2年7月6日 「日本新八景」に雲仙選ばれる

「長崎新聞」(明治30年の題字)
 現在の長崎新聞とは、経営的につながりはありません。

その他の新聞

現在も発行中

現在も発行中

平成24年3月で廃刊

平成24年5月で廃刊

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